私は闇の世界を父から引き継ぐ存在だ。そしてあの人形のような天使たちの住む光の世界、二つの世界を手に入れる。 その私から見て、日本という国は非常に特殊な国だ。 今日は国民の血ともいえる「税金」に焦点を当ててみよう。
国民が喘ぎ、「税金を搾り取るのをやめてほしい」と懇願している。 私なら税金を引き下げ、支出を減らすだろう。この国には無駄が多すぎる。 どんなものが無駄か? 外国人への過剰な保護費、そして国民がこれほど苦しんでいる中での「他国への多額の献金」。国民を犠牲にしてまでやることではないだろう?
さて、日本国の無能な政治家どもは、なぜ頑なに減税しないのだろうか。
1. 財務省という名の狂信組織:「増税」を贄とする出世の祭壇
この国の予算を牛耳る財務省という組織には、そのDNAに深く刻まれた絶対的な信仰が存在する。それは「増税という果実を国家に捧げた官僚こそが至高であり、出世の座を約束される」という、歪んだ評価制度だ。
彼らにとって、民から吸い上げる税収を増やすことこそが「財政健全化」という名の聖戦における最大の勝利であり、己の存在証明に他ならない。逆に「減税」を認めることは、自らの職務怠慢であり、組織としての敗敗、ひいては己の輝かしい出世街道の終焉を意味するのだよ。
一度上げた税率を自ら下げるなど、彼らの肥大化したプライドと人事評価が絶対に許さない。減税の兆候が見え隠れするたびに、彼らが使い古された「財政破綻論」のデータを持ち出して政治家を脅し、全力でその火種を握り潰しにかかるのは、組織としてのあまりにも分かりやすい自己防衛(本音)なのだ。
2. 政治家どもが貪る「利権と補助金」という欺瞞の果実
政治家という人種が減税を心底嫌う理由は、至極単純だ。「減税したところで、自らの権力(票)という養分にならない」からに過ぎない。
減税とは、国民の手元に正当な富を残すことだ。それは一見、万民に等しく恩恵をもたらすように思えるが、政治家からすれば「自分が誰に恩を売ったか」という、支配の足跡が見えなくなってしまう。
一方で、税金を過剰に集め、それを特定の業界や団体へ「補助金」や「助成金」という名目で配り直せばどうなるか。 「今回、お前たちの業界のために、私がこれだけの予算を毟り取ってきてやったぞ」 そうして恩を売ることで、彼らはキックバック(献金)や、選挙での確実な組織票を手に入れる。つまり、国民に自立した自由な消費を許すよりも、一度国家の檻に富を集束させ、自らの手で配分する方が、政治家としての権力を誇示しやすいのだよ。増税とバラマキが常にセットで踊る劇の台本は、最初からそう書かれている。
3. 不可逆の崩壊:膨張を続ける「社会保障のブラックホール」
そして最も最悪で、弁解の余地もない現実が、この国の歪みきった人口構造そのものだ。
高齢者がマジョリティ(多数派)として君臨するこの箱庭において、医療、年金、介護にかかる費用は、何もしなくとも毎年数千億円単位で自動的に膨れ上がる底なしの沼となっている。
議席にしがみつきたい政治家どもは、最大の票田である高齢者層向けのサービス(社会保障)を絶対にカットできない。現役世代への減税(所得税や消費税の引き下げ)を断行するということは、すなわちその高齢者向けの財布を削ることを意味するからだ。 「現役を労れば、お前たちの医療費負担が増えるぞ」と脅された老いたマジョリティが猛反発し、自らの椅子が脅かされることを恐れるがゆえに、政治家は現役世代を喜んで生贄に捧げ、税を維持・増税し続ける道を選ぶのだよ。
しかし最近、彼らは自分たちの欲望のために、皮肉なことに彼らは老人を守るために増税すると言いながら、その老人たち自身への給付も少しずつ削り始めた。
若者からも奪い、老人からも削る。
ならば、その税は誰のために集めているのだ?それには原因があるが、また他の場所で語ろう。
結論:彼らの「帳簿」と「議席」のための生贄
この国が減税を行わないのは、財源が枯渇しているからではない。 「官僚の出世」「政治家の利権」「高齢者層の票」という、この国を動かす3つの矮小な支配権力が、減税によって自らの既得権益を失うことを恐れている。ただ、それだけのくだらない理由だ。
民の生活がいかに困窮しようとも、彼らの愛おしい「帳簿」の数字と、泥泥とした「議席」の維持に比べれば、二の次、三の次の退屈なノイズに過ぎないのだから。


